飼い主にとっての日々の幸せ

四月の初めから、肩、肩甲骨、と降りていった筋肉の痛みは、腰にまで達した。もともと腰は悪いのだが、今回は痛みがひどく動けなくなり、犬のナポリを抱っこして階段を降りることも困難になってきたので、しかたなく隣家に預かってもらうことにし、日用品をまとめて、仕度をすると、ナポリは旅行にでも行くとおもったらしくはしゃぎ始めたのが不憫だった。玄関で見送っていると、振り返ることもなく短い足をばたばたさせていってしまった。

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夜中に薬を飲むときに、階下にナポがうずくまってないているようなcoldsweats02気がした。一週間は痛みがひどかったので、起きる気力もなく、眠ってばかりいた。でも、すこし起きられるようになると、ナポと、ものすごく遠くなったような気がして悲しくなった。更に3日ほどすると歩けるようになったので、隣家に行ってみると、ナポはすっかり溶け込んで、自分のペースで暮らしていた。なんだか拍子抜けした気がして、一旦は帰ったものの、数日後に完全復帰できるように、寝ている間に散らかった周りを片付け始め、ナポの帰宅に備えた。二週間ぐらいたって、復帰できるめどがたって、ナポリを迎えに行った。お礼に、西武でポルトガルのタルトも買って、ナポの名前で御礼の、のしもつけた。その夜、無事帰宅したというのに、ナポはおずおずとあたりを見回していた。なんだかよそよそしい。でも抱っこして、寝床をつくってあげると、一分もしないうちに、すやすやと寝始めた。sleepy

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犬の寝息って、こんなに安らぐものなのかと思った。その眠りを妨げないように、そーっとベッドに入り、自分でも驚くほどぐっすり眠った。それは、痛みがあった時期の睡眠とは違って、質の良い眠りだったせいか、sun太陽といっしょに、すっきりと眼が覚めた。コーヒーを入れ、庭にナポを連れて行き、朝のニュースのあと、『今日のわんこ』を見終わると、ちょうど8時になる。こうして2人の一日が始まるのだ。つまらないかもしれないけれど、これが私とナポの日常なのだ。これからも、ずーっと2人でやっていこうね、ナポちゃん!

                

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犬が考える『日常の幸せ』

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二週間ほど、他所にホームステイしていた。僕の飼い主が、体調が悪く、僕の面倒をみきれなくなったからだ。最初は、なんだかわからなくて、遊びに行くような感覚だった。でも数日が過ぎた頃に、事の重大さを知ったような気がした。でも、環境に順応して、みんなと仲良くして、猫語も覚えたりしてみた。10日ほど経って、飼い主が、様子を見に来た。何だか遠いように感じて、僕は戸惑っていた。13日目に、晴れて家に帰ったけれど、しばらくいなかったせいか、不思議な気がした。次の日の夜に、お風呂場でシャンプーをしてもらって、歯を磨いて、新しい洋服に着替えたら、いつもの日常が始まった。何気なく過ごしていた飼い主との生活が、とても貴重なものに思えた。その晩、僕は、うさぎの黒ちゃんと、ベッドで眠った。眠りながら、どちらが夢なのか、僕は考えていた。

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ヘレスへの旅 PartⅢ (シェリー・エキスプレス)

BODEGAS TRADICION(ボッデガス・トラディシオン

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私が、とても気に入ったシェリー酒の酒蔵、ボッデガス・トラディシオンは、昼下がりのヘレスの街の中心地に、ひっそりと佇んでいた。ホテルから予約してもらったが、誰もいないので、内心、少し不安になりながら、恐るゝドアを開けると、そこには重厚なドアからは想像できないほど、モダンで明るく清潔な光景がひろがっていた。イタリアやポルトガルも同じだが、スペインでは歴史地区の街並みを保存するため、外観はもとのまま、内部を改装して使うのがほとんどで、築何百年の古びた建物の中に、あっと声をあげたくなるほど、モダンなインテリアが出没して、眼を楽しませてくれたりする。建物でも人間でも、見た目からはわからない意外性に触れたとき、妙に惹きつけられてしまうのが、私の習性なのである。

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果たして、奥に進むと、そこに現れたのは、BODEGAS TRADICIONの絵画コレクションの数々。ああ、何と!現代アート、アンディー・ウォーホールの描くキース・リチャーズの奥に現れたのは、レンブラントやゴヤの作品たち。伝統あるボッデガスというのは、こんなにも豊かで奥深いものなのである。バブル期に浮かれ騒ぎ、似合いもしない洋服やバッグを買いあさっていた日本人とはまるで逆の、地に足の着いた小企業の力強さを眼前に突きつけられた気がして、恥ずかしくなった。私が常々感じるのは、ヨーロッパ社会において、街の小企業が、いかに底の深い、上質の体制を持っているかということ。それは取りも直さず、EUの名のもとに集結した国々には、アメリカやアジア諸国が束になっても絶対にかなわない、各国の伝統による魅力ある品々が、高い品質を保ちながら脈々と息づいているという事を指すに他ならない。スペインの旅の中で気づいたこの事実は、マドリッドの再開発や、最新鉄道のAVEよりも、驚嘆に値する出来事だった。

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見学を終えて、外に出ると、最高級の30年物のシェリー酒も、画廊とみまごうばかりの絵画のコレクションも消え去って、葡萄のつるに覆われた牧歌的な中庭に出た。お酒の酔いもあって、なんだか狐につままれた様な気がして、しばらく青い空を眺めていた。

ハモン・セラーノ

スペインの生ハムは、イタリアに住んでいるときはお目にかかれなかった。だから、今回の旅では堪能するつもりだった。しかし、イタリアでは数百メートル行くとある肉屋や惣菜屋が、ここスペインには少ないのである。それでもバルセロナやマドリッドでは捜し当てて調達に成功したが、昼下がりのこの時間、小さな店は一旦閉まり、夕方からの再開となる。

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そこで、スペインにデパートはここしかないのか?というぐらい、何処にでもある、コルテ・イングレスに行くことにした。運よく、次の酒蔵で知り合ったテキサスから来た夫婦がレンタカーで来ていて、スペインで借りた日産マーチで送ってくれた。こんな時に、ブッシュ・小泉の話が出るとは思っても見なかったが、ブッシュはテキサスの誇りなのである。アメリカン・ホスピタリティーに助けられ、ひたすら食料品売り場を目指す私。広い国だけあって、食料品売り場もだだっ広い。

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ありました   巨大ハモン売り場

ちなみに, 奥に見える黄色い文字のQUESOS(ケソス)というのは、チーズのこと。イタリア語のFORMAGGIO(フォルマッジョ)に比べると、何だか乾いた発音。実際の味も、イタリアのフォルマッジョやフランスのフロマージュが瑞々しく熟成香が強いのに対して、非常に乾いて大味な気がした。それよりもハモン・セラーノである。この後、小一時間、ハム選びに費やした私。テキサスから来た夫妻の妻のほうは、この間、同じく、おびただしいオリーブオイルの瓶と格闘していた。オリーブオイルのことを、スペイン語ではアセーテというのだが、イタリア語のお酢、アチェートと混同してしまいそうである。一時間ほどして、駐車場に戻ると、テキサスなまりの夫の方は堪忍袋の緒が切れて、烈火のごとく怒っていた。それを妻の方がなだめすかし、私をホテルまで送ってくれたのだが、このときの運転は本当に怖かった。

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ヘレスへの旅 PartⅡ (シェリー・エキスプレス)

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ホテルの朝はカナリアの声で始まった。あまりにも美しい鳥の声に、ここはどこなのか?まだ夢の中なのかわからずに、眼を開けると、バルセロナやマドリッドの喧騒は消えて、美味しい空気と、ちょうどよい湿度が、長旅の疲れをすっかり回復させてくれた事に気が付いた。上機嫌で水を飲み、バスタブに浸かり、レストランに降りて行くと、私が1番乗りだった。カップルや家族連れの朝は遅いらしい。『昨夜のシェリーはいかがでしたか?』 『至福の味でした。そのせいかぐっすり眠れて。明け方に鳴いていた鳥はカナリアですか?』と、カウンターバーの女性に尋ねると、『そうです。カナリア諸島が近いですから。海辺から船に乗れば、40分でモロッコに行けますよ。』  アフリカ大陸が眼と鼻の先なのだ。イタリアでは実感しにくいが、ここスペインではヨーロッパとアフリカが、とても近く感じられる。ヘレスの街から半時間ほど行った海辺にある、サンルカール・デ・バラメイダはマンサニーリャというシェリー酒で知られている。分類ではFino(フィノ)といって透き通った辛口なのだが、その中に通常のフィノとはちがう独特の味と香りが混じる。海の味と香りだ。何故なら、サンルカール・デ・バラメイダは海からの潮風が強く、シェリー酒を熟成させておく醸造所の建物の中まで、その空気が入ってくるからだという。ヘレスの街で最高級シェリーを買い込んだにもかかわらず、マドリッドの空港でマンサニーリャを見つけ、アムステルダム経由なのに、抱えて帰国した私は、ナイトキャップにひと口飲んで、その海の香りが口の中いっぱいに広がるのを感じて驚いた。グラスの中に、スペインの海が広がり、向こう岸にはアフリカ大陸が見える。そこにはモロッコの市場が賑わっているのかもしれないと、色々な想像がわきあがって、それをつまみに、もうひと口、マンサニーリャを味わう。夜の窓の向こうから潮風が吹いてきた気がする。オン・ザ・ロックなら、氷の溶けて落ちる音で、それが夢だと感じるかもしれない。そう、マンサニーリャとは、ある意味、ものすごく詩的な酒であるといえよう。

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通常、シェリー酒は上の写真に写っている樽をピラミッド状に積み上げた形で長期間熟成させる。ソレラシステムといって、底辺にあるシェリー酒が熟成の深いもの、上に行くに従って、醸造したばかりのシェリー酒の樽で、それが、時を経ると、下段に移って行くというシステムである。その期間の長いものが、高級な長熟成のシェリーということになる。上段の女性はドイツ人で、試飲をしているうちに酔っ払ってしまったらしい。

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先ほどの女性、気を取り直して、他のドイツ人たちとガイドの説明を受けているが、やっぱり、うつろなまま。私はひとりスペイン語のガイドがついて、丁寧に説明してくれた。こんな時、ドイツ人やアメリカ人と一緒になるのは悪いことではない。団体で何かすることに慣れているからである。これが、フランス人、ブラジル人、そしてアフリカ人だと収集がつかなくなって、ストレスが大きくなる。でも、そもそも彼らはガイドについたり、真面目に醸造過程を見学しようなんて思わないのだが・・・大手のサンデマンに行ったら、上映時間が決まっているビデオを見せられ、黒いマントとマスクで、まるで怪傑ゾロと見紛うばかりのガイドがさっそうと、説明を始めた。でも、私は個人経営の小さくて質の高い、上のドイツ人グループと回った酒蔵が大好きである。結局そこで、30年物のシェリー酒を買うことになる。参考のため、下に、イギリス人、ジョージ・サンデマンが造った醸造所のガイドのゾロ姿をお見せします。

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ヘレスへの旅 PartⅠ (シェリー・エキスプレス)

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マドリッドからヘレスまで、SPANAIR(スパネル)という、あまり耳にした事のない航空会社の飛行機に乗って、シェリー酒を堪能する旅に出ることにした。嫌な予感通り、ヘレス行きの飛行機は、だだっ広い空港の一番突き当たりから、しかもかなり遅れて出発した。機内は満員だったが、隣の席のスペイン人男性は、とても親切で、機内アナウンスを説明してくれたり、飲み物をスチュワーデスから受け取ってくれたりした。ヨーロッパの乗り物で、隣に乗り合わせると居心地のよい男性の国籍は、スペイン・イタリア・ポルトガルの3ヶ国だと、常々思っている。ちなみに、最悪の3ヶ国は中国・韓国・そして日本。

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JEREZ(ヘレス)は、スペインの中でも特異な街であると思う。アンダルシアがイスラムの遺産とヒターノ(ジプシー)の文化に頼って、広いスペインの中でも観光への依存度が非常に高いのに比べて、ヘレスはその名の通り、イギリス人のこよなく愛する、シェリー酒という素晴らしいお酒によって、確実な富を増やし、その愛好家達による観光でも潤っているという、稀に見る幸せな地域で、王立の乗馬学校があったり、実にイギリス人好みの秩序ある街なのである。街は治安が非常によく、夜の一人歩きも、日本より安全。ホテルのスタッフ、酒蔵見学のスタッフ、すべてが、訓練されていて、不快な思いを一度もしなかった。また、イスラム色が少なく、(イタリアに住んでいても、ヴェネツィアを訪れることが少なかった私、ヴィザンチン文化はなんとなく馴染まない私なのである。)心地よかった。また、ホテルの朝食はイギリス風でたっぷり、早起きが楽しくなるモチベーションとなった。

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★ヘレス(シェリー)の種類

①Fino(フィノ)    Dry,   軽く、色が薄い、 すっきりとした上品な味わい。

②Amontillado(アモンティリャード)                    フィノが古くなり、フロール(産膜酵母)が死んで酸化する。活性化させ、琥珀色でナッツの香りと味のする状態に仕上げる。

③Oloroso(オロロソ)                            フロールが発達しなかったものを強化、酸化させて深い個性の味に仕上げる。

④Manzanilla(マンサニーリャ)                      フィノだが、海辺の街、サンルカール・デ・バラメイダで造られるため、口に含むと潮風、海の香りがする。上の3つとは区別される。比較的、大衆的な酒の一種で、空港などで売られている。

                                          一人旅だし、バルセロナ、マドリッドと長旅で疲れていたので、ホテルの部屋に篭り、ルームサーヴィスで、数種類のシェリー酒とつまみを運ばせ、日本から持ってきたワインの教科書を読みながら、ゆっくりテイスティングする事にした。昼間は紹介された酒蔵を巡り、その後は散歩をする。時間が空けば、また部屋でテイスティング。そうこうするうちに、ホテル中のスタッフが、『昨夜のはいかがでしたか?』とか、尋ねてくるようになった。何かコメントを言うと、真剣な表情で聞いてくれる。お酒を飲んで、尊敬のまなざしで見られたのは、この街がはじめてだ。午後の昼寝が、この上もなく安らかだった事は言うまでもない。

(~To be continued~次回に続く)

         

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リモンチェッロと庭の柚子

カプリのお酒にリモンチェッロというのがある。甘くて強いリキュールだ。専用の器で、キンキンに冷やして飲む。甘みとアルコールの強さが、レモンの香りで、爽やかな風に変わる。日焼けした夏の午後、昼寝の前に飲むのにぴったりのお酒である。専用グラスは陶器の受け皿に6個のグラスが乗っている、黄色くて何ともいえないかわいさである。

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去年の夏の日本は、ものすごく暑かった。そのせいか、庭にほったらかしにしてある柚子の木に、実が沢山なっているのに気付いたのは年末のことだった。大体、柚子なんて、メインになるものではないし、和食にちょこっと使っても消費しきれない。年が明けても放って置いたら、更に実が増えて、木の枝が下を向くぐらいたわわに実った柚子の実たち。このまま、土にかえっていくのか?その時、カプリ島の事を思い出し、リモーネでリモンチェッロが出来るのなら、柚子でだって、美味しいお酒が造れるのではないだろうか?と思い立った。家の庭で出来ただけあって、皮だって安全だし、何ていったって、正真正銘、産地直送(庭⇒キッチン)のフレッシュさだ。

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日本では柚子を使ったお酒ってないのだろうか?と調べてみたら、ありました。長崎県壱岐に、その名も『柚子小町』。麦焼酎を使ってあるらしい。そこで、アルコール度35%のホワイトリカーで、氷砂糖を入れた甘口の柚子酒と、ブランデーベースでほんの少し甘みを加えた辛口とを造ることにした。柚子はよく洗って、8リットル容器に押し込まれた。残りのスペースにそれぞれのリキュールが注ぎ込まれていく。1~2ヶ月すれば、柚子の香りのお酒が二種類。アペリティフとして楽しいかもしれない。名前は何にしようかしら?『ユズッチョ』とか『ユズチーノ』とか、どうしようもない名前しか浮かばない。リモンチェッロみたいに美しい名前とグラスを考えなければと思うのですが・・・

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犬は丸まり、猫は立った。

犬は案外寒がりだ。公園から帰ってくると、一目散に家の玄関に走っていく。そして中に入るとほっとした顔をする。部屋に太陽が差し込むときはひだまりを捜して移動し、それ以外のときは、体外、デロンギのヒーターの前に座っている。犬は外が嫌いなのか?

    ナポリ   (♂、M・ダックスフント、 スイス出身)

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猫は砂漠の動物だと聞いているのだが、家の猫はスコットランド出身のせいか、冬も元気である。メス猫のモカちゃんは、一日寝転がっているのだが、急にすくっと立ち上がって、何かを見つめていたり、自分の手を舐めながら仁王立ちになったりする。他の『立つ猫』なんかより滞空時間は断然長いし、姿勢も良い。しかし、生まれてこのかた、お家の外に一度も出ていないモカちゃんなのである。外に出るのは、キャリーバッグで行く『かつらぎ動物病院』のみ。近頃は貫禄が出て、テレビの前に立つ様は、家の女王様のようだ。

   モカ(♀、スコティッシュ・ホールド、 スコットランド出身)

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幸せの行方

ウクライナから来たエウジェニオは、語学の天才だ。イタリア人が生粋のペルージャ生まれと思ったぐらいだ。イタリアに来る前は、北京大学に留学していたらしい。しばらくして、彼は諜報機関から派遣されているらしいという噂がとびかった。なるほど、出来るはずである。見回してみると、外国人大学の最終課程には、ものすごい早口でイタリア語を喋る中国人もいたが、権威あるイタリア語文法の教授に、『君はイタリア語を流暢に話してはいるが、何のために、そして誰に向かって話しているかがわからない。言語の第一目的であるコミュニケーションを忘れている。』と手厳しい言葉をいただいていた。それに比べて、エウジェニオは違う。文化から政治、社交に至るまで、完璧にマスターしている。ただ、貨幣価値のせいで、お金がなく、携帯にワンコールして、相手からのコールバックを待つという、日本で少し前に流行ったワン切りという犯罪手法まがいの方法で連絡してくるのが、玉に瑕である。授業を数日休んだら、着信があって、かけなおしてみると、『チャオ!どうして休んでるの?プリントとってあるよ。』と言うので、『最近、何のために、文法を勉強しているのかわからないのよ。クイント(第五課程)って、会話に役立つと思えない、私、別に言語学者になるわけじゃないし、それにクラスの日本人達にも溶け込めないし。』と愚痴をいってしまった。『じゃあ、プリントを届けがてら、階段の途中のバールで六時に待ってるよ。直接話そう。』  冬の夕暮れは速い。イタリア中部の中世の街並みはなおさら、闇が深い。

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石畳の階段を下から見上げるように上がっていくと、バールの入り口で、エウジェニオは待っていた。『いっぱいなんだ。歩きながら話そうか?』 ピアッツァの終点にある噴水を横目に見て坂を降りながら、古代ローマ時代の水道橋(アクアドット)の方向に歩いていく。色々な話をしながら、木枯らしに押されるように歩いていく。寒い国から来たスパイには、イタリアの冬なんてどうっていうことはないらしい。『えっ?今なんて言った?』急にエウジェニオが大きな声で聞き返してきた。『だから、あまり幸せじゃないから、私・・・』小さな声で、さっき言ったことを繰り返すと、今度は立ち止まって、確認するように私の言葉をさえぎった。『え、幸せじゃないから、何だって言うんだ?』 あまりの強い調子にびっくりして顔を見ると、いつになく真剣な表情で言った。『幸せってなんなんだ?共産主義時代、何もかも統制されて、ロシアのいうなりで、自由はなかった。でも、そんな中でも、夏は家族でピクニックに行ったり、湖で泳いだり、冬は橇遊びをしたり。あれはあれで、楽しかった。』真面目に語りだす彼を見て、なんだか申し訳ないような、聞いてはいけないような気持ちになって、目をそらしていると、『ごめん、日本人の君にはわからないかも知れないよね。ただ、僕が言いたいのは、人間が生きるということと、幸せっていうやつの関係性についてなんだ。』 エウジェニオの真っ白な顔が紅潮して、目の周りが赤くなり、水色の眼が充血してすみれ色に変わった。私は何だかいたたまれなくなり、水道橋を渡って、その片側にある狭い学生アパートに住んでいるウズベキスタンの陽気な同級生の家に逃げ込みたい衝動に駆られた。『では、人間は幸せだったら生きて、そうでなかったら死ぬのか?』   エウジェニオはズバッと核心を突いてきた。答えに困って黙っていると、尚も続けた。

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『僕は違うと思う。どんなみじめな状況だろうと、ただ息をして、食べ物を探して、眠るだけの生活だろうと、僕はそれを不幸だとは思わない。生きることの目的は幸せ探しのゲームじゃない。アメリカ人みたいに、サクセスだの、ハッピーだの、一喜一憂するんじゃない。君はイタリアの中世史を勉強しているだろう。長い歴史の流れから見たら、僕達なんて砂の粒みたいなもんだ。』 水道橋を渡り終えて、大学の裏手に出た。『僕は調べ物をしに、図書館に寄っていくよ。僕のアパルタメントより居心地がいいんだ。』 プリントの入った封筒を渡すと、エウジェニオは暗闇に消えていった。木枯らしに吹かれてたたずんでいると、映画史の授業を終えたベルギー人のソフィーが出てきて、肩をたたいた。お腹がすいているのか、食べ物の話ばかりしながら、下ってきた坂を登って、笑いながら帰った。坂を登りきったところで、エウジェニオの優しさに気がついた。何か食べていこうというソフィーを断って、『目を通さなければならないプリントがあるから。』と言って封筒を握りしめて、アパルタメントまで全速力で走った。私の後を、白い息と、心臓の鼓動が追いかけてきた。

          

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新しい年に、犬は・・・

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新しい年が来る度、人は何を思うのだろうか? 世界中の人が平和で静かなひと時を過ごしたいと思うに決まっている。それなのに、去年の大晦日は大変だった。飼い主のイタリアの大学時代の同級生(フランス人)が泊まっていて、28日の夜から、ひとりで大量のお酒を飲み通しで、朝になっても、死んだように寝ていて、彼女が怒るから、僕と飼い主は雨戸を開けることさえ出来なかった。食べる、飲む以外は、フランス人は、何もしない。だんだん匂ってくるほど、シャワーも浴びない。大晦日の夜、次の日に、観光案内を親戚の女の子に頼んでいた飼い主が、早く寝るようにいうと、大きな声で怒鳴りだし、わめき散らし、暴れ、ついには荷物をまとめて出て行った。ちょうど、次の年になって、お祝いをする頃に! 悪夢のようだった。家族まで飼い主を責め、 飼い主は困っていたが、僕は彼女が出て行って本当に嬉しかった。次の朝、カトリック教会で奉仕をしているというイタリア人から電話があって、フランス人は、ここを出て教会に行ったらしいが、そこでも酔って暴れて追い出されたらしい。『フランス人って我がままだから、気にすることないのよ。特に、彼女はいつでもそう。少し頭がおかしいの。フランスの実家に放火して帰れないんだから!カトリック教会では、世界中で、恵まれない人たちに、新年のご馳走をくばって、その未来に幸せが来るように祈っているの。ヨーロッパ中の留学生も集まって手伝っているわ、ただ食べて飲んでいるだけの彼女の世話なんかしていられないのよ。まあ、とにかくお正月だから、新年おめでとう!とんだ災難だったけれど、それは去年で去ったの。今年のあなたの幸せを心から祈るわ。』アッシジの聖キアラと同じ名前のイタリア人女性は優しかった。彼女は一年間日本に滞在して、奉仕作業をしているのだという。聞けば、飼い主のいたペルージャの近くの村の出身らしい。キアラの言葉に救われはしたが、飼い主は、その後、ノスタルジアに浸ることを止め、人間関係を単純化した。3月にイタリアではなく、スペインに旅行して、新しい世界を見るように心がけた。にも、かかわらず、心無い人の言葉がきっかけで、 5月にはストレス性の頭通に見舞われ、更に人との交流をせばめていった。長いこと待って診察を受けた頭通外来の医師もひどい人だった。飼い主は、人に会うことが怖くなった。自然とふれあい、新しいことを始める事で、少しずつ、嫌なことを忘れようとした。そう、だからこそ、忌まわしい去年の大晦日を取り戻すように、僕と飼い主は、二人だけで静かに過ごした。許されて、僕もシャンパンを飲み、生ハムを食べ、ジルベスターコンサートの中継を見ながら、飼い主の腕枕で眠った。そして、お正月の朝、おそろいの色のコートを着て、湖のデッキに出かけ、だいぶ上がってしまった太陽を見て、新鮮な空気と風を受けた。2008年、僕はなんだか、今年がとても良い年になりそうな気がする。

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グッビオのクリスマスツリー

バスの中は混み合っていた。ピアッツァ・パルティジャーニからグッビオ行きに乗り込んだものの、外国人大学のあるペルージャ発とは思えないほど、地元の人ばかりで、以前に車で来た時とは違い、停留所で小まめに留まり、大きく迂回して、郊外のショッピングセンターの前に停車した。暫くして、パネットーネの大きな箱をふたつも抱えたお爺さんが乗ってきた。運よく空いていた降車口近くの席に座り、始終満足そうに笑っている。ナターレ(クリスマス)だから、朝早くペルージャに来て、買い物をして、お昼までには帰るのかしら?バスはやがて急勾配の上り坂に入り、何度もカーブで左右に揺られた。アペニン山脈の雄大さは、お隣のトスカーナ州よりも、このウンブリア州でこそ味わうことが出来る。荒々しいまでの景観は男性的で、トスカーナの女性的な美しさとまったく逆の面白さだ。速く流れる大きな雲や、『イタリアの緑のハート』と言われる自然の豊かさを眺めているうちに下り坂になった。ここからはマルケ州との境にある中世都市グッビオまで、ぼちぼち小さな集落が現れて、停留所も多くなる。学校帰りの子供たちが降りる用意をし始めた。東洋人の私に対する好奇心を隠さない人たちに久しぶりに会った気がした。それだけに、伝統的な暮らしを営む堅実な街なのだと気づいた。夏の初めに行われる、『ろうそく祭り』という、山車に乗せた巨大ろうそくを、それぞれの地区が対抗して倒しあう催しが、最大の行事で、秋が深まり風が強くなる頃には、山間に閉ざされ、人の行き来もめっきり少なくなる、山城を中心とした中世都市のひとつである。そんな寂しい冬のグッビオを訪れたのは、世界一大きなクリスマスツリーがあると聞きつけたからである。それを教えてくれたブラジル人の友達は、耳元で囁くように、『その大きなクリスマスツリーを見た人は幸せになれるんだって。』と言った。彼女はすでに帰国していて、私もクリスマスから年明けにポルトガルに旅行をして、新学期から新しいクラスに入り、冬の終わりに試験に受かったら日本に帰るつもりでいた。ろうそく祭りを見るために、ドイツの友人達と車で旅したグッビオにもう一度行ってみたかったし、ブラジル人の友人の魔法の言葉が私を促した。バスはゆっくり走り、終点グッビオまで5分という停留所で、先ほどのお爺さんは大切そうにパネットーネの箱を抱えて、バス中のみんなに笑顔で挨拶しながら降りていった。私は胸がきゅんとなった。ナターレ(クリスマス)だから、お爺さんは家族のために、地元でも買えるはずのパネットーネを、奮発して州都のペルージャまで買いに行ったに違いない。待っている家族のことを思って、にこにこしていたんだ。イタリアの片田舎の小さな小さな路線バスで出会ったお爺さんは本当に幸せそうだった。それに比べて、地球の裏側まで来て、ひとりぼっちでクリスマスツリーを見に行く自分が、なんだか悲しい存在に思えてきた。しかも見たら幸せになれるというクリスマスツリーがあるという、ブラジル人の言葉につられて・・・彼女だって今頃、家族に囲まれた真夏のクリスマスを過ごしているというのに。

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グッビオに到着すると、思い出を辿るように、駐車場から一番近いバールに入って、カフェを頼んだ。夏には賑わって感じの良かった店内も、地元の男たちがたむろすTOTOの予想場と化していた。コートの襟を立て、木枯らしに押されるように中世の外壁の中へと歩いていく。Lupoという地元で一番のリストランテ、小奇麗でアンティックな調度品の設えられたホテル。全てが閉まっていた。歩き回っても、眺めても、巨大なクリスマスツリーは見当たらなかった。寒くて疲れてきたので、暮れかかる城壁の内側を出て、ペルージャ行きのバスに乗ることにした。行きと違って、帰りのバスはすいていた。『思い出なんか辿るものじゃないな。』センチメンタルな自分に嫌気がさした頃、何の合図もなくバスは出発した。街を抜け、古代ローマの遺跡である劇場跡を旋回した頃、後方の山が、つまりグッビオの街全体が光った気がした。改めて振り返ると、そこには、山全体に施されたイルミネーションで、巨大なクリスマスツリーが、暗闇の中にくっきりと浮かび上がっていた。みんなで来た夏のろうそく祭り、秋にトリュフとポルチーニを食べるために来たリストランテ、ふたりで写した古代ローマ遺跡前での写真、色々なことが想い出されて、それらの幸せな思い出達はクリスマスツリーの灯りに照らし出されていった。そして、行きのバスで会ったパネットーネを抱えた幸せそうなお爺さんの様子もありありとバスの窓ガラスに浮かんでくるような気がした。帰りのバスはすいていて、途中から乗客は私一人になった。黒々とした夜のアペニン山脈を超え、急カーブに揺られながら、暗闇の中に、数々の思い出と共に、グッビオの街全体を覆う巨大なクリスマスツリーが、私の網膜の中にしっかりと記憶されて、暖かな思いと共にいつまでも消えないのだった。

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